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"Absentia"

YUKIKOMIZUTANI
/ Tokyo,Japan/ 2026
2025.12.13 [sat] – 2026.1.17 [sat]
冬季休廊 2025.12.27 - 2026.1.5

アーティストステートメント

「すべては繰り返され、すべてが立ち戻る。ただその瞬間だけが私たちのものである。」アンドレイ・タルコフスキーは『ノスタルジア( Nostatghia)』の中で、父であるアルセニー・タルコフスキーのこの詩の一節を引用している。彼の言葉を「時間の存在というのは円環であ り、生命の儚さと永遠の現在を指す」という意味だと考えるならば、「生と死の流転がやがて永遠の生命であり、絶対の今がすなわち無限 の時間そのものだ」という鈴木大拙や西田幾多郎の東洋思想の根源を指す言葉と共鳴する。

人や生命の痕跡がない世界、「不在の風景」を描くことで、人類以前あるいは人類以後の風景を示唆させたい。いつしかそう考えるように 至ったのは、イタリアやスイス、ノルウエー、アイスランドといった場所でフィールドワークをしている中の圧倒的で崇高とも言える風景と の出会いが出発点となっている。なぜ、草木や動物、あるいは人間の痕跡がない原始的な風景に惹かれるのだろう - そこには圧倒的な「 不在」が常にあった。しかし「不在だ」と考えているのは私の小さな意識がそうさせるだけで、実は地球が形成される膨大な時間というプ ロセスの中で、現在は荒涼たる風景にもかつては水が滔々と流れ(私たちが火星を想像するように)、そこには動物たちや人間の村があ った、あるいはカタストロフの後、数万年後に改めて新たな生命が出現していくのかもしれない。そのように過去や未来に想像力を働か せることができるのも私たち人間のみが持つ特性だろう。

「世界は人間なしに始まり、人間なしに終わるだろう」とレヴィ・ストロースは言ったが、私たちは空間だけでなく、人間という尺度を超えた 時間を旅することによって、自分自身もまた移ろい行く円環の中で消えては生まれ、生まれては消える、一瞬をたゆたう存在だと認識する ことで、今後の行く末に思いを馳せることができるかもしれない。 私は「不在の中の在」つまり膨大な死と生の流転を孕んだ「不在」を、主客未分以前の永遠の現在というタイムレスな風景として表現する ことで、現代を逆照射し、私たちの文明や現在の人間の立ち位置を見直すことに繋がればと考える。不在の中に潜む存在を見つめ、そこ に広がる時間の風景を感じ取っていただければ幸いである。

釘町彰

"Flom the Land of Men"
Art front gallery / Tokyo,Japan/ 2024
Feb. 2 (Fri) , 2024 - Feb. 25 (Sun)

アーティストステートメント

人気のない原始的な風景をずっと追い求めてきた。

どこかSF映画のような面白さと同時に、人間不在の風景を通して、世界を人的尺度を超えた時空間の様相として捉えることは、現代の私たちに何らかの示唆を与えることになるのではないかと考えたのだった。

かつて「世界は人間なしに始まったし、人間なしで続いていくだろう」とレヴィ=ストロースは言ったが、人類滅亡以降に残った人工衛星が映し出したような、人類以後、あるいは人類出現以前のいわば「文明喪失の風景」は、過去と未来、両方の超時間的な視点を獲得しながらも、ある種、人間嫌いや人間不信に陥ってしまう懸念もあるように思えた。

 

『南の島に雪が降る』(1961年、加東大介著)において、戦時下、食糧もなく希望もない地獄のような時間を生きた兵士たちに生きる希望を与え、鼓舞するために、俳優でもあった著者が、パプアニューギニアのジャングル奥地の過酷な環境下において皆と協力して演劇分隊を編成し、兵士たちに見せる演劇を行なった日々が綴られている。

病理や飢えで次々と死んでいく中、臨終の兵士には「何か欲しいものは?」と聞くのが決まり文句だったのだが、ある重篤の栄養失調の兵士は死ぬ前に「雪が見たい」と答えたという。そこで、演劇の演目で雪を降らせたいと考えた著者は、残っていた白いパラシュートを敷き詰め、紙を切り刻み砂子のように降らせることで雪のシーンを作ったのだが、300人の兵士たちは、それを見て一瞬静まり返り、一人の例外なく肩を振るわせながらみな静かに啜り泣いたという。過酷な状況下で、瀕死の人々が、風景を見ることによって生きる希望と感動を見出した事実に、私は衝撃を受けた。

「人間の土地」(サン=テグジュペリ著)では、20世紀初頭に航空路を開発する飛行士でもあった著者自身が、事故による不時着を余儀なくされ、命の限界まで砂漠を3日間彷徨い歩き、帰還した驚異的な精神の気高さが描かれている。実話でもあるその物語は、やはり餓死寸前の過酷な状況下に置かれつつも、ふと頭上の星空を見て我を忘れて感動し、風景との対話を通して、自分以外の他者を省み、尊み、限界まで先へ進もうとする飽くなき人間礼賛でもある。人は他者を想うことによってのみ強くなれるのである。

 

人新世と言われる現代において、私たちは常に不確実な情報が浮遊しているかのようなクラウド・システムに身を浸しながら、環境破壊と世界的な分離対立構造といういわば二重の不安に苛まれている。私たちを取り巻く環境は、今や身をもって体感できるほど不安定だ。

世界を理解したつもりになったような私たち人間の生と地球の歴史を時間軸で捉えると、地球誕生からの時間を12時間とした場合、人類が火という道具を使うようになってから現代に至るまでの時間はたったの2秒ということになるらしい。その2秒間に、私たちが争わず、平和であった時間は瞬きをするほどの一瞬だろうか。

この地球に新米者の私たちは、もはや風景に身を任せ、膨大な時間を感じ、ただそれを見つめるという素朴な立ち位置を再び取り戻すことくらいしか残されていないのかもしれない。

しかし「人間の精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間はつくられる」(※2)

のであれば、私たちは風景を見つめることによって、そして風景の中を歩くことによって、再び自分自身の精神の中に一条の光を見出すことも可能なのではないかと感じる瞬間もあるのだ。

 

※注1 レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

※注2 アントワーヌ・サン=テグジュペリ『人間の土地』

釘町彰

"Elpis"
Pierre-Yves Caër Gallery / Paris,FRANCE /2020
Solo Exhibition

"Art Paris"
Pierre-Yves Caër Gallery / Paris,FRANCE / 2020
Art Fair

"Elpis"
Pierre-Yves Caër Gallery / Paris,FRANCE /2020
Solo Exhibition

"Elewhon"
Gallery Art Composition / Tokyo,JAPAN / 2018
Solo Exhibition

"L’Aurore de Paysage"
VILLA 88 / Bordaux,FRANCE / 2017
Solo Exhibition

"L’Aurore de Paysage"
Nihonbashi Mitsukoshi / Tokyo,JAPAN / 2017
Solo Exhibition


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Coming-soon

 

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