Eclipse

もう10年前のこと、フランス北部で100%の日蝕を見る事ができるというので、車でその場所まで出かけて行った。それが起こったのは確か昼の12:00くらいだったと記憶している。初夏だっただろうか。次第に辺りは暗くなり始め、この世の終わりなのではないかというくらいの暗闇が辺りを包み始めた。周辺の鳥たちが理由のない危機感におそわれたように、奇妙な鳴き声とともに方々に飛び回っていた。やがて真冬とも思えるくらいに気温が一気に下がり、その瞬間、真昼だというのに真夜中のように真っ暗闇に包まれた。ほんの2分くらいだっただろうか。月の影が太陽と重なる刹那という、この一瞬の未来的な光景を見て、宇宙というものを自分はまだ微塵も知らないのではないかという思いがよぎった。人智をはるかに超えた自然の造作としての光のスペクタクルにただ見とれた。思えばそれは、昼は明るく夜は暗いという当たり前の常識を覆す出来事だった。太陽の光は、地球と一定の距離を保ちながら、我々が生きるために丁度必要な温度や明るさを与えてくれる。
その当たり前の事実が如何に奇跡であるかを感じた。その奇跡的な出来事がこの惑星のあらゆる生命を育て、我々の日常を可能にしていることに今更ながら気づいたのだ。次第にあたりは再び明るくなりはじめたが、そのときに見た昼の朝焼けとでも言うべき空の色は、モネの絵画のような紫やピンク、オレンジという日頃、夕日や朝日を見る時とは全く違う色を呈していた。

数年後、オランダのキューケンホッフ公園というチューリップで有名な公園に行った。私はそこで様々な色とりどりの花を見て回った。その公園はチューリップだけではなく、広大な敷地に様々な樹々や花などが豊かに繁っていることでも有名だ。私はふと空を見上げ、高々と延びる樹々が、普段正面から見る時とは全く違った抽象的なフォルムを呈しているのを眺めた。それらは言わば稲妻のように延びながら、なんともカオティックでノイズを含んだ響きを奏でながら、生命力の力強さを奏でていた。皆が足元にあるチューリップをファインダーにおさめている中、私は一人、上空を見上げて樹々のシルエットを見ては、夢中で何枚も写真に収め、スケッチをした。次の瞬間、数年前にフランス北部で見た日蝕の光と闇が、その樹々のシルエットと頭の中で重った。
そしてイマジネーションの中で、その想像上の光景にしばし見とれた。暗闇に出現する光、そこに浮かぶ樹々のシルエットを描くことで、人間の知恵では計ることのできないこの世界の神秘を描きたいと思ったのだ。この宇宙の中で、私たちはあまりに小さく、無知で、ただその恩恵に被り生かされている一瞬の訪問者に過ぎない。

それからさらに数年後、何気無くセーヌ河沿いを散歩していた時だった。やはりふと上空を見上げた時に目に入って来たプラタナスの枝垂技のシルエットにしばし見惚れたのだが、次の瞬間にやはり数年前に見た皆既日食の像がイマジネーションの中で重なった。のちにプラタナス、つまり和名で鈴懸の樹は、花言葉ではギリシアの哲学者に因んで「天才」「非凡」「好奇心」であることを知った。そしてまた枝垂れ樹も、花言葉では神の降臨、というような意味があるらしいことを知った。非凡なるものの降臨、つまり上から降臨する樹々の精霊が上から降臨するように、この作品を見る人にも幸せが訪れてくれるだろうか。

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