Bifröst

漠然と虹を絵にしたいという思いは随分前からありました。

しかし、実際には虹を絵にするという作業は、短絡的過ぎる気がして今一つ手を出せない状態が続いていました。虹を、それが虹だと忘れた時にいつか描けるようになるのではないか、と思っていたのです。そしてある夕方、偶然にも、南仏で上下反転した虹を目の当たりにするのです。急いでその光景をカメラに収めスケッチをしましたが、それはすぐに作品として生まれることもなく、しばらくの間、私の中で眠り続けていたのです。

3年前、父が亡くなりました。その時、なぜかふと虹を描きたいと思ったのです。父の死という事実と向き合うため、何か、弔いをしたかったのかもしれません。あるいは無事天上界へと飛び立って欲しいという思いを虹の絵に託したかったのかもしれません。
調べてみると、虹というのは北欧神話では「あの世とこの世を繋ぐ橋 (”Bifrost”)」という意味があるようです。他にも「虹はこの世界と別世界を繋ぐ架け橋」という語源を持つ文化が多くあります。この偶然に私は何か必然性や共時性を感じずにはいられませんでした。一瞬で過ぎ去る虹と、膨大な宇宙の歴史から見れば瞬きをする間のようなものかもしれない人間の一生が、
儚さという共通点のもとに重なったのかもしれません。

私は、光の振動ともいうべき青と赤の虹の色彩を出すため、暗闇からほのかな光が少しずつ現れてくるように、墨で真っ黒にした面に、天然岩絵の具を用いて薄い色の層を言わば儀式のように何度も何度も重ねて色を出していきました。

「お茶を入れる、その入れ方が次第に儀式化していくというのは、生きている不安によるものではないか」 (「千利休無言の前衛」赤瀬川原平著)

人は切り詰めた表現方法を用い、ある行為を繰り返しながら神秘的な他者が立ち現れてくるのを辛抱強く待つことで、死や別れというものに対する不安を拭おうとするのかもしれません。人の一生には制限があり、死という不安があるからこそ、どこまでも自由な世界へと飛び立とうとする。そしてこの一生に制限があるからこそ、それがたとえ徒労に終わろうとも、人は何かを創作しコミュニケーションする、終わりのない旅に向かっていくのかもしれません。アートを生活に取り入れ向き合うということは、本質的に、それと向き合うことによって生と死、つまり自分が死ぬべき存在であるということと常に向き合い日々生まれ変わったかのように過ごすことなのではないか。上下に反転したダブルレインボー、その稀有な虹を見た人は永遠の幸せに包まれる、という言い伝えもあると聞いています。

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